貶し愛だったおたくが盲目おたくになるまでの話


いつか残そう、残そうと思いながらここまで来てしまった。もう2年3年前のことで鮮明に覚えてないものも多いけれど自分の記録として残しておこうと思う。
神山くんに転げ落ちてからのこの4年間は本当に大変で大切な4年間だった。だいたいざっとタイトルをつけるとしたら「貶し愛だったわたしが神山くんの盲目おたくになるまで」そんなところだと思う。貶し愛だったなんて今では想像できないくらいの話だ。これからする昔の話は、そんな私の黒歴史。先に断っておくけれど、貶し愛のため非常に口が悪い。気分を害するほど口が悪い。なんならここで読むのをやめておいて欲しいほど口が悪い。嫌な人は最後のまとめから読んでくれても構わない。なら書くなって話だけれど自己満足残しておきたいだけなので昔の話だと笑ってくれたら嬉しい。


◎ 2011年秋、神山くんに転げ落ちる

勉強疲れに久々に少年倶楽部を見てやっていたのがたまたまイン大阪2週目だった。ツキノミチを歌う神山くんがかっこよくて、鼓動の歌詞が胸に刺さった。元からジャニヲタだったわたしは神山くんのことも知っていたし熱血という印象は片隅にあった。なんだか強そうな人だな、この人についていこうかな。という軽い気持ちで神山くんの担を名乗り始める。当時の私GJ。後に何度でも言いふらすが当時容姿だけなら重岡くんの方が断然好みだった。

◎2011年冬、神山くんはすごいひと。

勉強の合間に雑誌を読んだりして少しずつ神山くんの事を知るようになって、神山くんに転げ落ちた時に私が彼に抱いていた「熱血」というイメージが現実のものとして降りてきた。それに加え彼はカウントダウンコンサートや優馬くん・重岡くんとのドラマ、少年たち日生公演2011への出演など、ある意味「推されジュニア」だということもわかった。関西Jr.みんな勢いがあるし、このまま応援していれば何かいいことがあるだろうと感じていた。わくわく。


◎2012年春、最高にかっこいい。

春のコンサートは全滅意気消沈。関西担の凄さを知る。初大阪遠征への夢もかなわず大学進学のため上京した。滝沢歌舞伎に申し込むような財力もなかったが上京したおかげで寮フェスを見ることができた。遠山先輩フォーエバー。重岡くんが一番手とはいえ二番手の位置に着く神山くんはやっぱりすごいんだとおもっていた。余談だけれど私は神山くんに関してこの2012春あたりのビジュアルが一二を争うほど好きだ。

この時期、Twitterを始めた。本当にこれには人生を変えられたと思ってる。大学でおたくの話ができない分こうしたところにつながりを求めては情報交換なんかをし合っていた。この時できた友人と今も連絡を取り合ってるのもなかなか感慨深い。
見たくないような情報も入ってきたけれど関西Jr.のおたくとして右も左も分からない私はただそれを鵜呑みにするしかできなかった。

◎2012年夏、大阪初遠征

少年たちの夏。大幅G編。神山くんが呼ばれなかったファンミーティングのことも今でもはっきり覚えている。東海・関西のおたくにむけて一緒にプレゾン見ないかい?みたいなメールがきて、それに付随したファンミだった。関東に住んでるのに行けなかった。まあいかなくてよかったんだけど。
ファンミーティングの前か最中だったかあんまりはっきり覚えてないけれど、松竹のポスターが変更されていることがTwitterで一気に拡散された。2人の名前がなかった。当時青山劇場にファンミーティングに行っていた友人は会場の前で泣き崩れたと言っていた。
よぎった不安は次が神山くんだろうということだった。呼ばれなかったファンミーティング。ファンミ組はその次の日の少年収にも参加しているからその分の露出も無くなった。少し覚悟しなきゃかなと思い始めた頃だった。
少年たちが始まった。神山くんの髪の毛はあの襟足だけ金髪のやつだった。歌舞伎や寮フェスの頃の爽やか好青年!な神山くんが大好きだった私としては若干気持ちを削がれる出来事だった。こんな些細なことで嫌になってしまうくらい単純野郎だったのだ。クソ野郎だ。それと、照史くんのライバル役がこの年神山くんから小瀧くんになった。こわかった。
他の関西担のお友達に倣って公演中はレポをたくさん漁った。誰が花道のどの辺に来るとかそういうことも学んだ。フォト一揆というものも知った。席は花道横後列。神山くんが来そうな位置だった。なんだかんだ心躍らせ人生初松竹座へ。
結論から言うと神山くんは近くには来なかった。よくよくレポを見ているといつもは恒例近くまで来るところを私が入ったあの公演は前列までしか行かなかったらしい。悲しかった。こんなことで悲しくなっていることに今となっては苛立ちすら覚えるが、当時は悲しかった。安っぽい双眼鏡を持って行って、ただただぼーっと初めての関西Jr.の舞台についていくのに必死で、この公演のことは正直あんまり覚えてない。けど、ショータイムでお兄ちゃんたち(なにきんより上)のユニ曲がないのは怖かった。これからどうなるんだろうと思っていた。平野紫耀って誰だよって思った夏。

◎2012年秋、日生少年たち

映像にも残ってるように日生公演期間の神山くんのビジュアルは本当にカッコよかった。のちに神山くんは日生に照準を合わせてきてるんじゃないかと思わせるほど日生期間のビジュアルがよかった。日生のジンクス。
それでも他のメンバーより出番が多くないことがいつも私の不安材料だった。いつか、いつかこのまま消えてしまうのではないかと思ってた。
この消したくても消せない不安がなぜだかわからないが貶し愛という形にかわっていった。八つ当たりとか、そんなようなもんだろう。
日生公演がおわったあたりからわたしのくちをつくのは「まじブス無理」という言葉だった。自分の顔見て出直せとか言わない。反省はしてる。まあ聞いて。
少年倶楽部イン大阪もだめだった。まいったね今夜とBe coolのダンスがかっこよかったイメージはあるけれど11より出番が減った気がしてもう気持ちは最悪だった。
が、握手会で間近に神山くんを見て少し気持ちが回復した。最低な奴だ。相変わらずクソ野郎。

◎2012年→2013年冬 鬱
嵐コンやってたから、12月15とか16とかその辺だったと思う。大江戸元旦公演の知らせ。神山くんと紫耀くんの名前がなかった。そして、関西Jr.の映画が決まったけど、それにも神山くんの名前はなく絶望した。夏からずっと抱いてた不安が、ついに現実のものとして降ってきた瞬間だった。いつか最後が来るなら、その時は見届けたいという気持ちでいた。
なんだかよくわからないけど大江戸元旦公演もチケットを取ったので、二部と三部に行った。念のため神山くんがいなかったときのために金内くんのうちわを作って持って行った。私の中で次の降り先だった。一部にあった神山くんの演出が二部から無くなったと聞いてまた絶望した。流星くんがイケメンだった。
そしてあけおめコンin城ホ。クリパのセットリストを割と踏襲したようなセットリストだった。(クリパに行ってないので詳しくは分かりかねるが)。 重岡くんのソロ曲、ツインの曲。神山くんといえば彼は相変わらず神山くんだった(ように私には見えてた)。同じ仲間が曲をもらってるのにこの人は……という苛立ち。ただ生のかっこいい神山くんをこの場で見れているという事実、ツアーが決まって関西Jr.が着実に登ってきているという事実だけでなんとか気持ちを繋いでいた。

◎2013年春 突然の冷め期
先に言っておくとこの辺りから半年くらい長い冷め期間が続く。私史上最も長い。原因の一つはこの春神山くんがちょっと太ったということだった(私比)雑誌でも当時寝る前におかし食べてまうねん的なことを言っていた。おい。確信犯か。今こうして話すと笑い話だけれど私は真剣だった。春コンの学ラン神山くんはかっこよかったけどちょっと太ってたしやっぱり出番が少なかった。
ツアー広島公演の公式写真が出た時個人20枚のうち10枚しか買わなかった。お金がなかったわけじゃない、ビジュアルが嫌いだったから。

太秦行進曲のプロモーションでいろんな番組に出演する他のメンバーが恨めしかったりした。

ツアーの東京公演が運良く全公演当たったので足を運んだ。デビューしてほしい、デビューする、っていう熱がだんだん周りからも高まってきていたし、関西Jr.が最強の一枚岩だっていう空気がとても好きだった。からまあ神山くん個人のビジュアルがどうっていうことはあんまり気にしてなかったけどこの時の神山くんのパフォーマンスは本当にかっこよかった。公演自体も本当に本当に楽しかったし素晴らしかった。ただ彼はMCでほとんど言葉を発さなかったし、次の日に出たWSや新聞のビジュアルはやっぱりあんまり好きじゃなかった。好きだけど嫌いみたいなよくわからないきもちがぐるぐるする。

ANOTHERが始まる。ANOTHERの劇中歌とか話は嫌いじゃなかったけど神山くんの役は好きじゃなかった。タンクトップで脇が丸見えなのも当時あんまり好きじゃなかった。これはほんとに声を大にしていう。今となってはあの役も大切なものの一つだけれど当時の私は本当にあれが受け入れられなかった。もっといい役くれよお!って思ってた。れんくんを抱っこしてくるシーンは削られてしまったし本当に苦しかった。松竹座と日生公演で役柄が変わらないのも寂しかった。下の世代も台頭してきて、もうそろそろきついなあと思っていた。そろそろ本気で金内くんに降りようかとも。
それでも離れなかったのは日生公演でお立ち台の目の前の席が当たったからだった。本当にクソ野郎だ。

ツアー、ANOTHERと何度かまいジャニさんでインタビューしてもらったが受け答えの内容がいたって真面目すぎたのも私の不安と苛立ちを加速させる原因になっていたと思う。糞真面目め。

日生公演の直前に流星くんのドラマが決まった。
加えて重岡くんのBBJに小瀧くんの仮面ティーチャー。
そして決まったクリパはど平日昼間。なにきんが土日で、しげこたソロ公演。どうしても休めない授業がありクリパを諦めた。あけおめも諦めた。

記憶にも新しいあの日、2014年元旦。
「神山くんはそろそろいなくなるかもしれないなあ」という漠然とした不安が突然リアルなものとして襲い掛かってきた。2014年春松竹のポスターにも神山くんの名前はなかった。SHARKは鬱ドラマすぎて全然見てられなかった。終わりかなと思った。

なんとかデビューがきまって、神山くんはこの先ずっと応援させてもらえる存在になった。





ここまで長々と書いておいてやっとここからまとめに入る。ここから読んでる人は初めまして。
4年間今まで神山くんを応援してきてデビューするまえの私はたぶんいつも神山くんに対して苦い思いを抱えていたと思います。ただそれが貶し愛というか、応援してるからこそ、認められない悔しさがあって、いつでも神山くんの実力が周りに認められて欲しいと思う反面で、実力だけがモノを言う世界じゃないことも十分わかってた。そこに対する歯がゆさみたいなものが、苛立ちとか、そういう汚い感情になってたなあとおもいます。
神山くんの実力とか、彼の見せてくれるものを信じていたいという気持ちと裏腹に、もっと普通だったら、もっとみんなと同じように、足並みそろえて普通でいてくれたら、もしかしたら日の目を見たかもしれないのに、なんで?って思ってしまうこともあって。

2013年のあけおめコンサートで、いわゆるファンサ曲と言われる曲の最中、神山くんは1人自分の世界で衣装を翻しては城ホールを駆け巡ってました。今となってはその姿を、その気持ちを全力で受け入れていたいと思うのだけど、当時はやっぱり神山くんだけ他と違う、ということがマイナスに見えていた。
その反面で、大江戸元旦公演や、春コンサート、全国ツアーあたりで周りから「神山くんファンサマシーンだった」という言葉を多く耳にすることがありました。
ファンサマシーンになって、自分とファンをつなげておかなければいけないほど、たぶん神山くん自身が干されているという現状に危機感を抱いてるのかと思うとそれはそれで苦しかったし悔しかった。

結局なにをしても嫌だしなにをしても悔しいわがままな子供みたいなことを言っていたのです私は。口を開けば「まじブサイク」。でもその根底にはいつも神山くんが認めてもらえない悔しさがあった。メイン張らせてもらってレギュラーのラジオがあってコンサートできて雑誌にも毎月のれて自分がどれだけ贅沢を言ってるかはたしかに分かっているけど。今思っても後の祭りにもほどがあるが、13年のあけおめコンサートの神山くんの全力の気持ちを受け止めていられるような自分でいたかったと強く思う。

簡単に言えば努力しても報われない彼の姿を見ていらいらして八つ当たりのようにちゃんとしろよ!お前が変われよ!って言ってたようなもんだった。ゾッとする。

2014年1月の一ヶ月で本当に考えた。唸った。失ってから気づいたなんてなんのメロドラマだって話だけれど本当にそんな感じ。
「デビュー」は本当に大きかった。
ハローTOKYOを見に行ってオープニングで黒燕尾服を着て横一列に並ぶ7人がどれほど誇らしくうつったか。いなくなってしまうかもしれない不安から、いてくれることの幸せを感じてる。


わたしが大好きな言葉をここで引用する
(売り上げとかの)数じゃなくて、届いて欲しい伝気持ちでやってるから
【2010.08.21 嵐 風景魂 櫻井くんの挨拶】


僕らは皆さんの笑顔のためなら日々の努力を欠かしません。これからも一番近い場所で笑顔でいてください。
【2013.07.07 関西Jr.全国ツアーオーラス 重岡くんの挨拶】

4年たって、デビューして、ようやくわかったなあという感じ。彼らが届けてくれるものを信じてたい。
神山くんがファンサマシーンになってた件で、当たり前だけど気づいたんです。干されてるとかあの子より仕事が少ないとかそういうことは、ファンがやんやいうより本人たちが絶対分かってるし危機感も感じてる。周りからのいろんな言葉に惑わされながら、いつも努力してくれてるということを忘れてはいけないんだろうなあって。だからわたしは、届けてくれるものを受け入れるまでだなと。

2014年1月の、あの一ヶ月でころっと気持ちが変わりました。元々ファンサに執着はしてないし神山くんがブサイクだなんてもう言えないし言わないし思ってないし(他と比較してどうかという話はお口チャック)7人で舞台に立ってくれていることが本当に尊いし幸せだし可能性を感じさせてくれる。素敵なメンバーに囲まれて、神山くん自身の肩の力も少し抜けたようでとても嬉しい。

文中かなり口も性格も悪いお話をしましたが今となってはどれも好きだし素敵な作品だと思っています。悪しからず!
神山くんがいる世界がバリハッピー!このテンションこそ私って感じ!(笑)今でこそ信じられないし笑って話せる貶し愛時代の話!読んでくださってありがとうございました(笑)