好きの気持ちが向かう先


何かがおかしい。

このブログを読んでくださっている私の友人知人はもしかしたら同じことを感じてくれているかもしれない。ほんの一週間ちょっと前から、おかしいのだ。8月21日だ。少年たちの松竹座公演に入ってから、一人の男の子がわたしの頭の中に居座って離れない。


初めて生で彼の姿を捉えたあの時、体に走った感覚を今でもほんのり覚えてる。


もっと見たい、もっと前に来て欲しい、もっと応援していたい、どんな子なんだろう?何が好きで誰に憧れていて、今日の朝ごはんは何を食べたんだろう?

そんな新鮮な気持ちがとめどなく溢れてくるようになった。実のところ雑誌も少し買い足した。


来月の雑誌にはたして彼は載るだろうか?という気持ちは初めての経験だった。載るのが当たり前だったから、こんなに出版社公式の更新を待った日はなかった。そんなことさえ楽しく思える自分もいた。


しばらく悩んだ。といっても一週間ちょっとなのだが。降りる、という決心は私にはまだできない。これはもしかしたら一時の気の迷いなのかもしれないし、この夏自担に現場がないからこその気持ちなのかもしれないし、なによりいつも私と、好きの気持ちを共有してくれる友人がたくさんいる。だからといって、掛け持ち、というのもなんだかなあとおもったりする。これは完全に個人的な意見だけれど。


訳もわからない支離滅裂なことを書いていることは自覚している。それでも、吐き出しておきたいのだ。俗に言う担降り報告ブログなんてなんで書くんだとよく言われるものだが、なんとなくその気持ちが今なら分かる気がする。


担当制度なんていう言ってしまえば奇妙なものがあるから、神山担を名乗りながら頭の中は彼でいっぱいになっていることに非常にモヤモヤしている。だからこそ、このもやもやを吐き出してしまいたいのだ。身体中から好きだと叫び切って、焦って降りないように落ち着きたいのだ。

降りれるものなら降りてしまいたいと思うけれど、そううまくもいかないフクザツな乙女心だ。

こっち、ときめたらこっち、にしか突っ走れない私の性格のせいもある。


どっちに転ぶかまだわからない。もしかしたらこのままストンっと気持ちが落ち着くかもしれないし、好きの気持ちのまま突っ走ってしまうかもしれない。


それでも今、私の全力の好きの気持ちが彼に向いている。向いてしまっている。しばらくは振り返られそうにない。神山くんや7人に対する気持ちを、もしかしたら今までのようには声に出さなくなるかも知れないけれど、もう少し冷静になれるまで、少しだけ見守っていて欲しい。


もしかしたらあと何週間もしたら、神山くんへの気持ちを爆発させてるかもしれないし、そんな未来は私にもまだわからない。


少しだけすっきりした。終わらせる。